天地わたるブログ

1951年2月長野県伊那市生れ。上智大卒。鷹同人(星辰賞・新葉賞受賞)「流星道場」など三つの句会の座長。 野山に食べ物を探す野生果実ハンター。

仲寒蟬「令和訪問診療事情」を読む

  稲城大橋下

 

『俳句』6月号で「令和訪問診療事情」と題して仲寒蟬が発表した16句に注目した。

 

宣告の余命を超えて年迎ふ

一読して自分の境遇を詠んだのかと思ったが「令和訪問診療事情」であるから作者は医療従事者で、患者の訪問看護をしたのかと思い直した。こういう新年の句を初めて読んだ。

 

冬ひなた最後の旅の話聴く

患者の話を聴いている作者。「最後の旅の話聴く」が「冬ひなた」という絶妙な季語を得て身にしみる。淋しいけれど人生の豊穣のときである。話す方、聴く方ともに充足した交歓のさまが伝わる。

 

死に際に見たしと雪の浅間山

患者は長野県の小諸あたりか、あるいは裏の嬬恋村あたりの生まれか。そういう出身地への想像が広がる。「雪の浅間山」が鮮烈に見える。

 

寒月光すでに死にたる脈をとる

横たわっていた人は亡くなったようだ。医師は死亡した時刻を把握する必要がある。脈をとるのだが息を引き取った時刻を数秒過ぎたのか。もう息を引き取ったと思われるが確認のため脈をとるが、脈もない。死んだのである。「すでに死にたる脈をとる」にはかすかなおかしみとしみじみとした切なさが交錯する。「すでに死にたる脈をとる」なる措辞を引き出した作者の感度のよさに拍手したい。

 

死の床に一族つどふ室の花

「死の床に一族つどふ」はありふれた景色。どうということもないが季語が効いている。死者と彼をはかなむ人たちへの、まさに餞である。

 

啓蟄や酸素チューブがトイレまで

中七下五にどきっとする。その長さは少なくとも5mはあるだろうか。視覚に訴える句は強い。また「啓蟄」が当を得た季語。この季語から見ても「酸素チューブがトイレまで」は新鮮。

 

玄関に梅と真新しき手すり

「真新しき手すり」は患者が移動するときの補助であろう。家じゅうに手すり、ないしそれと同様の用途の物があるのだろう。そう思わせる「真新しき手すり」である。生命力の象徴の「梅」と取り合わせた詩心が映える。

 

清拭の身を裏返し亀鳴かす

「清拭の身を裏返し」に亀鳴くの取合せはいいと思う。が、この季語を「亀鳴かす」と使役で使うのは強引過ぎるのでは。「亀鳴くや清拭の身を裏返し」か「清拭の身を裏返す亀の鳴く」あたりでよかったのではないか。

 

花見に行かうストレッチャー調達し

リアルでよい。「ストレッチャー調達し」に作者の意欲とアイディア、人に対するあたたかさが存分に出ている。

 

暑いねと訪問診療はじまりぬ

軽い句であるが「訪問診療」があまり詠まれていないのではっとする。石田波郷が「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又浪々たる打坐即刻のうた也」と述べたが、弾けるように口をついて出た言葉と思う。

 

追ひ払ふ力もくて顔の蠅

見たままであり死を直前にした人が切ない。

 

汗拭いてから病人へかがみこむ

特に人に上から接近するとき汗を滴らす恐れが生じる。寝屋で小生も妻に汗をこぼして叱られたことがある。だから「汗拭いてから」である。医師という仕事ならではのシーンである。自分固有の素材を発信することの意義を思った。

 

夏痩や食へなくなればすなはち死

季語に対して中七下五はやや近いが押して来るものがある。当然のことのダメ押しであるが連作の中ゆえ映える。

 

入浴サービス庭の柿たわわなる

「入浴サービス」、いかにも現代ならではの風俗。これに「庭の柿」を併せて味わいを出す。しっとりとして平和である。

 

看取りの家や裏山に鵙騒ぎ

前の句と同じ配合の句。看取りとに付けた鵙はそれが鶯のように美を喚起しないから味が出る。しかしこの句はリズム感がよくない。ここまで書ける人ならもっと推敲できたのではないか。それが不満。

 

死を告げし帰途地虫鳴く闇いくつ

「死を告げし帰途」と自分の立場をしかと述べてよい。「地虫鳴く闇」はいいが、「いくつ」がわからない。闇なる抽象を数えられるのか。たぶん、闇の深さなどを思ったのであろう。たんなる「闇」で決着して欲しかった。

16句の中には若干推敲に問題のある句もあるが具体的で押して来る。この雑誌で久々に感動する句に出会った。