天地わたるブログ

1951年2月長野県伊那市生れ。上智大卒。鷹同人(星辰賞・新葉賞受賞)「流星道場」など三つの句会の座長。 野山に食べ物を探す野生果実ハンター。

国分寺KBJ句会の顛末




きのう国分寺のKBJキッチンで月例の句会を催し、7人(1人欠席投句)参加した。
2回訪問1回電話
さて二日前に声をかけたまさ子さんを15分前に訪ねると不在。いったん句会場に戻り電話すると家に戻っていて句会は明日と勘違いしていてまた迎えに。彼女の足取りはしっかりしている。日にちの感覚が失せつつあるのと出かけるとき家の中が大丈夫か(電気を消したか)異常に心配で出渋るのが問題。
問題の人は来たが治子さんはひどい花粉症で短冊をおいて帰る。決めた日のその時刻に来られるというのは大変なことなのである。一期一会という言葉はオーバーではない。清記したものが全員に渡ったとき、仕事が終わったように安堵した。

よけいなこと言わないダブらない

桜散り鯉のぱくつく花筏
山桜散りし彩る細き道

桜が散ったから水面に桜が浮かんでいるのであるから「桜散り」は不要と思うべし。鯉をもっと描けばいい。山桜の句は「散りし彩る」がうるさい。「山桜散り敷く小路」とかでよくさらに何か言える余地がある。

類型を脱出したい

いくつもの出会いと別れ花見酒
上五中七は巷でよく聞く言葉。誰でもいうしアナウンサーもよく言う。それはおもしろくない。次の句の死と散る花の取り合せは陳腐。それにあの事故は花時ではなかったはず。
花散るや御巣鷹山に散りし彼

文脈の意識をもつべし
寒の瓶米突く母棒と在り
題の瓶で作った句だが「寒の瓶」というより「瓶の米突く母」という文脈のほうがわかりやすいだろう。五七、または七五のフレーズはテンポとリズムがあって流れるひとかたまりをつくりたい。これに適切な季語が付けばそこそこの俳句になる。そう思うと藤田湘子が『20週俳句入門』で初心者に語っている型重視の考え方は、テンポとリズムをもたらす方法であることを再認識した。型を意識することで句意を明確にできるのである。
ここに来る方々は型という基礎をもっと意識してほしい。


自分を描く
母歩くうしろを歩く日脚伸ぶ
上五中七に作者の工夫と存在を感じて好感をもつ。老齢の母のサポートか。しかし前半で動詞二つ使ったあと季語にまだ動詞があるのが嫌で「日永かな」のほうがいいと閃き、さらに時間を経てどこを歩いてるか知らしめる物の季語、たとえば「犬ふぐり」のほうがもっと見えるかとも思う。そうこう思ううちに「母歩くうしろを歩く」はサポートでなく幼児の可能性もありこの場合「母歩くうしろに付く子」と明確にするほうがよく、サポートなら「母を守(も)りうしろを歩く」のほうが的確である。このように思いを巡らすのが推敲であるが、類型的でない言葉を得ようとする句は多少傷があっても嬉しくなる。
以下、参加者の比較的よい句をあげる。多少の添削をした句もある。


走り根の脈打つてゐる春の山 弘子
空瓶に募るひもじさ亀の鳴く 国重
ベランダのパンスト躍る春一番 治子
鍬振つて楔ゆるびぬ春の土 則子
春愁や空瓶の口そつと吹き 和子
さしかけられ友の死を聞く春日傘 まさ子
鳥交る花瓶の水のぬめりかな わたる