きのう横浜港に停泊する氷川丸を訪れた。
ここ2か月ずっと戦争文学を読んできて船を見たくなり横浜港へやって来た。
この船は85回目の誕生日とかでそれを祝う生花があちこちにしつらえられていてまるで生花展のようだ。
爆発事故で沈んだ戦艦陸奥や、本来の仕事をせず轟沈した戦艦大和・武蔵などを思うと平成までこの世に形を保ち多くの市民を楽しませている氷川丸は幸福な船である。

甲板の椅子に座って海を眺めていたら、艦長の気分になった。
「カンチョウ!」と呼ばれたら気持ちいいだろうな。
最近は「終活」ブームで、<やり残したことはないか>という設問をよく聞く。
小生はそういった懊悩はほとんどないのだが、
男ならではの仕事として、プロ野球の監督はやりたかった。最下位のチームの監督を見ていてもかっこよく感じる。
あとはラグビーでぼくの小柄の体はスクラムハーフができたのではないかとたまに思う。
そして艦長である。
吉村昭氏のように意識のレベルの高い方は戦時中自分が「軍国少年」であったことを隠さない。そういう人の書くものは信用できるのだが、ぼくも昭和7、8年ころの富国強兵の時代に生れていたら軍艦に乗ることに憧れていたのではないか。
あの海軍のかっこいい白い服に身を包み南海へ繰り出していく自分を夢見たのではなかろうか。
氷川丸は排水量11,622t、全長163、3m、全幅20、12m。大きい船である。嵐が来ても沈みそうもない盤石の安心感がある。
しかし爆発事故で沈んだ戦艦陸奥は32,720t、全長215、80m、全幅28、96m。氷川丸よりざっと3倍もでかく巨砲を搭載していた。さらに戦艦大和・武蔵はその2倍もある。
そんな巨船の艦長とはうずうずするではないか。
あの時代誰もが軍国少年でありその多くが軍艦に乗りたく、ゆくゆくは「艦長と呼ばれたい」と思っても何の不思議がないように思った。
昭和初期の少年のヒロイズムはいま野球選手やサッカー選手になって戦うことに変わっている。東郷平八郎や山本五十六ではなくイチローやメッシに憧れる平和な時代になっている。
それを守ることとはどういうことだろうか、しばし船内を歩きながら思った。
戦火なき七十年や蜷の道 わたる
