
きのう、散歩していて久しぶりに「姿見の池」を通った。池のお中に木の葉がたくさん散って無惨。掃除人がいて地上は掃いているが水の中まで入らない。誰も水の中の掃除はしたくないだろう。
沼の面にどんみりと日や冬ざるる
絵に描いたような冬景色である。
雲厚し落葉溜めたる沼の色
落葉がいっぱいの池は実に自然でありエネルギーに満ちている。雲も力を感じる。
冬深し鯉動かざる木暗がり
鴨が数羽いいたが一羽も見ない。どこへ行ったのか。よもや獲って食べたのではないだろうな。鯉もあまり見ない。動きが鈍いのと水に落葉が多いのとでどこにいるかわからない。
蒲の穂の頽(くずお)れて絮放ちけり
枯草の上を飛んでいるのは羽虫かと思ってじっと見た。けれど浮遊物は虫のように左右対称ではない。絮だ。ソーセージみたいな蒲の穂を確認。ざっとみて30本もある。今までここに蒲が生えることを知らなかった。見落としていたとしたら怠慢だが確かになかった。

頽れて懈怠しらじら蒲の絮
絮類はともかく魅力的。アザミも絮になるが絮は花よりも面白い。見どころがある。
アイスクリーム蕩けるやうに蒲の穂も
絮は繊維だが崩れていく感じはアイスクリームである。多摩川でかつて見た雨に濡れた絮もつぶれたアイスクリームみたいだった。
蒲の絮頽れて得し浮力かな
沈んでいくと浮き上がる。浮き沈みの妙味を蒲に感じる。
蒲の穂絮飛ぶや遊子の頬掠め
「蒲の穂絮」は秋の歳時記に出ているが実際は冬に飛ぶ。いつか多摩川で見た蒲の穂絮も冬であった。

羽虫来て蒲の穂絮と遊ばんか
小春日だから羽虫が出来してもいい。羽虫と蒲の穂絮が飛ぶさまは格別ではないか。
綿虫と雲のあはひのあはき日と
雲の中に日が入ってはっきりしない。冬の日はかっと照らない。
吹かれれば微塵とならむ冬の蝶
冬の生き物ははかない。生きているのか死んでしまったのか外から見ただけではわからない。
突つ立つもあり剛直な朴落葉
湘子が好んだ朴。その葉は硬い。青いときも硬いが落ちるときなお硬くなるのではないか。落ちて土になるまでの時間がもっともかかる葉ではなかろうか。誠に身持ちのよい葉だ。
枯蘆のいつさい捨てし色なりけり
人間は欲望を死によってしか捨てられない。さて枯れた葦は死んでいるのかと気になった。
行く末のなき枯色に安らぎぬ
枯色は究極の色。どうしようもない色は安らぎである。
きのうは思いがけなく蒲の穂絮の飛ぶのを見たいい日であった。
黒いところが西国分寺駅
